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クハ103−562
京葉電車区所属:93年頃からの歴史
- 行方不明だったときの情報を
海老原さん
から頂きました。
ここに掲載させていただきます。
- (・で始まるものがそうです。)
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1993/10/30:新木場駅にて
この頃は201編成に入っていて各駅停車と
成東に行く快速を受け持っていました。
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1994/2/20:成東駅にて
成東に到着した時の写真です。このあとは東金線を何往復かしました。
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1994/2/21:誉田駅にて
ここで分割・併合が行なわれています。
- この後94年の6月頃から行方不明となっていました。
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・94年春まで同車が組み込まれていたケヨ201+101編成は、94/5/16
に京葉区→習志野区へ回送。
廃車となるクモハ103ー88+モハ103−206、及び習志野区転出予定の
サハ103−269を編成から解放した上で、
翌94/5/17に大井工に定期検査入場。
その後出場日は不明ながら、前面強化を施して大井工出場。そのまま習志野区留置。
- ★この時の写真も頂きました。
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(94/10/22撮影)
・半年近く習志野区の最奥でサハ103−347を押し込んだ状態で留置された後、
94/10/25に大井工を出場した312編成に組み込み。翌94/10/26に
習志野区→京葉区に復帰回送。
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1994/11/6:新浦安駅にて
この頃に212編成に復活しました。
全面が強化(踏切事故対策)されたのに
シールドビーム化されなかったようです。
- ここまでは成東に行く運用にも入り、表に立つこともありました。
- 94年12月のダイヤ改正で301編成に入り、10両固定になります。
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・94/11/17に312編成は再び京葉区→習志野区と回送。
クハ103−562は編成をはずれた。
・外されて3日後の94/11/20。今度は301(101)編成に組み込まれ、
浦和区からの借入車(T−7他)を差し替え。
94/11/22に習志野区→京葉区へ復帰回送。
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1997/2/7:新浦安にて
その後しばらくまた行方不明になります。
(301編成は10両貫通編成となりました)
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・95/3/20、301編成が京葉区→習志野区へ回送。翌日再び編成から外される
。
・8ヶ月も習志野区留置が続いた後、95/11/11に305編成に組み込み。
その後は編成替えもなく現在に至る。
- 暫くして今度は305編成に入りました。クモハと向かい合わせになっています。
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1995/12/27:新浦安駅にて
どうやらヘッドライトはちゃんと点灯するようです。
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1996/5/5:千葉みなと駅にて
96年11月に全検が行なわれたようです。しかし原型のヘッドライトは
そのままです。
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1998/5/16:運転台の様子
運転台からはいろいろな機器が取り外されています。
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2000/8/5:蘇我駅にて
隣のクモハ103-93にヘッドライトが映り込んでいます。
- 1999年の1月にまた検査を終えたようです。
まだまだ原形ヘッドライトを保っています。
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2000/9/30:習志野電車区にて
2000年の9月に運用を離れ、
習志野電車区に留置されていました。
草と網の向こうに正面からの様子が覗けました。
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2000/10/28:大宮にて
10/26に大宮工場に回送されています。
11/15日頃に解体されたそうです。
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